秋月先生は
長崎に生まれ
医師となり
長崎浦上第一病院に勤務中の
昭和20年8月9日に、
原爆がおち、被爆されました。
爆心地より1.8キロメートルの病院は、
死の灰の中に
廃墟として残ったそうです。
しかし、患者さんの救助、付近の人々の治療にあたった
秋月先生や従業員の方たちには、
いわゆる原爆症がでませんでした。
その原因として、
「わかめの味噌汁」であったと、
秋月先生は確信されています。
この病院は、長崎市内の味噌・醤油の倉庫にもなっており、
玄米と味噌は豊富にあり、
さらにわかめもたくさん保存されていたからです。
いま、改めて
秋月辰一郎著
”「体質と食物」健康への道”
を読み返しています。